のよのよ in Zの悲劇?!
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出身:福岡県。長年住んだ出雲から佐賀へ移住の白衣好き主婦。
趣味:同人活動ではハーロックに原点回帰。(他にナノセイバー・恐竜惑星・ジーンダイバー)、ばんえい競馬、鳥関係全般、(科学者用)白衣等々。海外に行った時は旅行ネタ多目。


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ベルリン旅行記(3)~ベルリンの壁3
【2012/06/02 13:37】 海外旅行
 書ける内に粛々と進めます。前回のベルリン旅行記(2)~ベルリンの壁2と合わせてお読み下さい。

【チェックポイントチャーリー】

 チェックポイントチャーリーと言うのは壁時代の東西境界線の検問所の事です。このイケメンの米兵看板が目印(笑)。
チェックポイントチャーリー表側
 別にこの人がチャーリーさんなのでは有りません。当時A・B・Cの3つの検問所が在って、夫々アルファ・ブラヴォー・チャーリーと言う愛称で呼ばれていたのです。つまり名前はカッコ良くてもその実態は単なる「検問所C」(笑)。
 
 裏手(西側)はソ連兵のイケメン看板になってます。しかし看板の兵士達が実際現役だったのか、それとも見栄えを良くする為に手頃なイケメンを配置したのかは謎(笑)。(何となく後者な気もするが…)
同裏側
 ここの近くの壁から脱走しようとしたペーター・フェヒターなる青年が、東の警備兵に撃たれ西側に助けを呼び続けたのに、みすみす見殺しにされた事件が有ったのは、壁が出来て間もない1961年8月17日の事でした。享年18歳。(近くに慰霊碑が在るそうですがその時は知らなかった為未確認)

 因みに初めて射殺されたのはギュンター・リトフィンと言う24歳の青年。8月24日だからペーターの方が1週間早いとお思いでしょうが、ペーターの場合は殺すつもりで撃たれてはいない上に、すぐ手当てすれば助かっていた可能性が有るので、厳密には「射殺」では無いのです。
 彼は見殺しにされるまでの過程が劇的だった上に、遺体が東の兵に運ばれる動画まで残ってるんで、東側の残虐性と助けようとした西側の勇気の象徴として、格好の宣伝材料にされましたからね…。

 今はそんな悲劇が無かったかの様に、チャーリーの前では米ソ兵に扮した人が立っていて、記念写真も撮れる観光地になってます。…平和って良いなぁ…´▽`(写真は上から見た状態)
上から見た様子 
 この傍にチェックポイントチャーリーハウス、別名壁博物館が在るのですが生憎中は撮影禁止だし、狭くて古い建物の中に展示物がひしめき合ってて、非常に混雑していた為あまり印象に残っていません ̄▽ ̄;
壁博物館外観
 壁時代ここは西側だったけどこの博物館が出来たのは1962年だそうです。公式サイトはショボ過ぎ(リンク張る気にもなれない)だし、写真が撮れなかったのでうろ覚えですが、入った所に実際に脱出に使われたトラバントやサーフボート等が展示され、上の方には壁建設の経緯や東側の人達の絵画が豊富に飾られていました。
 絵画は自由への渇望と言った感じですが、どちらかと言うと前衛芸術の様なカオスな物が多かった様に記憶しています。

 しかしここは入場料12.5ユーロと他の博物館に比べて非常に高い!! 中には「高いし無料のドキュメントセンター(後日紹介)に行くから良いや ̄~ ̄ノ」とのたまう御仁もいらっしゃったりして^^; 正直自分もゴチャゴチャして良く解らない…説明は独英仏露の4ヶ国語で読めないし^^; 
 ぶっちゃけ他の壁絡みの名所の方が良いですよ…ただなのに見応えが有る所多いし。土産物も高くて買う気になれませんでした。
 そんな訳であまり勧める気にはなれない博物館ですが、あんなに混んでたと言う事はやっぱり人気なんですかね? ̄▽ ̄;
 
 最寄のUバーンのコッホシュトラーセ(Kochstr.)駅からフリードリヒシュトラーセ(Friedrichstr.)駅経由でブランデンブルク門(Brandenburger Tor)駅へ。次はポツダム広場を紹介するつもりでしたが、順番はこちらの方が先だったのよ^^;

 ここに挙げた駅及びポツダム広場(Potsdamer Platz)駅は、全て壁周辺に在った関係で翻弄されまくってます。地下鉄が一部西側を通る為そこに在った駅は、逃亡防止の為閉鎖され幽霊駅と化したからです。
 フリードリヒシュトラーセ駅は乗り換えの重要な拠点だった上に、検問所が在った為幽霊駅にはなりませんでしたが、東側と西側は厳重に隔離され、検問所を通らないと西から東に行けなかったそうです。(当然ながら東から西は禁止)

 1961年当時の壁付近の鉄道路線図。(色付きは自分が関わった駅)Xが付いている駅はそこに在りながら無かった事にされていた訳です。
 しかしこの路線図にはブランデンブルク門(旧ウンターデンリンデン)駅の辺りにThälmann Platzなる駅が在るのは何故?? (ウンターデンリンデン駅は1936年に開業以来、2009年に現在の名称になったそうだから、別の廃止された駅っぽいが詳細不明…ってここ幽霊駅ぢゃなかったのか!!) 
1961年当時の地下鉄路線図
 コッホシュトラーセ駅は出入り口を撮りそびれたのでホームの駅名板で代用。
コッホシュトラーセ駅名票
 今では隣の駅まで2分程度でフツーに行けますが、壁時代はそれもままならなかったのですよ…。

 戦前のフリードリヒシュトラーセ駅。この駅に限らず歴史の有る主要駅のホームには、結構昔の写真を飾ってあってさながらリアル鉄道博物館状態なのが面白いです。駅が美術館ならモントリオール地下鉄や台北MRTがそうですが、こんな風に随所の駅に昔の写真をホームに飾ってあるのは他では寡聞にして知りません。(探せば有るとは思うけど)
 昔はこんなに巨大な駅舎が在ったんですねぇ…。アンハルター駅を思い出すぜ。
戦前は巨大ターミナルだったらしい

昔のフリードリヒシュトラーセ駅1
 基本ここは乗り継ぎにしか使ってなくて外観はろくに見ていませんが、今でもかなり大きくて乗り継ぎに重要な駅と言う事は変わりません。

 さてフリードリヒシュトラーセ駅からSバーン1駅でブランデンブルク門駅に到着。実はベルリンに着いた日、空港から連絡バス経由で最初に乗ったのがこの駅なんですな。
 その時望遠で撮ったのがこの写真だけど、その後生憎夜にここを訪れる暇が無かった為、マトモなライトアップ写真が無いと言う^^;
夜のブランデンブルク門
 旧名ウンターデンリンデン(Unter Den Linden)の駅名票も御一緒に。
新旧名称
 ウンターデンリンデンとは「菩提樹の下」と言う意味で、ベルリンのお洒落な繁華街にもなってます。

 そんな訳で長くなったし次回は『ブランデンブルク門』。内容が濃いからポツダム広場はそのまた次~^^;


【オマケ】
 スカパーの『ちょっと贅沢! 欧州列車旅行』の26話はベルリンだったのですが、2006~2008の取材らしいので自分が見た時との違いを少々補足。(これから紹介する場所についてはその時に)

 チェックポイントチャーリーの傍の壁にパネル展示について。2012年3月現在の様子。
壁のパネル展示(2012.3)
 ところが以前はこんな感じだったそうです。
昔はこうだったらしい
 別の写真ではこう。パネルの色の違いや周囲が殺風景な事がお解かりでしょうか。
作り直したのかな?
 恐らく落書等で痛んで来たので作り直した様です。後日紹介するイーストサイドギャラリーも、3年位前の写真見ると落書だらけでしたからね。2009年の壁崩壊20周年の時に大々的に修復したそうだし。
 海外に行くと線路沿いにダイナミックな落書が結構有るけど、自分の知る限りではベルリンが最も落書だらけと思いますぜ-Д-;
 壁が有った頃西ベルリン側は夥しい落書が有ったそうですが、その頃培われた鬱憤を未だ晴らしてるんですかね? ̄▽ ̄;

 ついでに現役当時のチェックポイントチャーリー。イケメン兵士が居たかどうかは知りません(笑)。
現役時代のチェックポイントチャーリー

この記事に対するコメント

はじめまして。
検索しているうちにこちらにたどり着きました。
私がベルリンに行ったのは8年前なのですが、変化の激しい街なので、いろいろと変わっていることを感じました。

さて、テールマン広場(Thälmannplatz)駅ですが、
これはウンターデンリンデンを通るSバーンの南北地下区間の駅ではなく、
Uバーン2号線(旧称A線)の駅で、現在はMohrenstraßeに改称されています。
駅名になったテールマン広場は、東ドイツ時代に共産党の人物に由来して改称されたもので、壁崩壊後に元のヴィルヘルム広場に戻されています。

なお、地図中では、壁を挟んで路線が東西に分裂し、Thälmannplatz~Gleisdreieck(三角線の意味)が休止したことになっていますが、実際にはGleisdreieckから先も現在のU1が直ぐ北に併行していることから、更に西のNollendorfplatzまで廃止状態になっていました。
【2012/09/29 02:10】 URL | ひろ #U3d8BiGw [ 編集]

貴重な情報感謝
>ひろ様
 コメント有難うございます。夕べアクセス数が跳ね上がっていたと思ったら貴方でしたか(笑)。

 時が経つと何処も多少は変化が有る物ですが、ベルリンはそれが特に顕著な街と思います。今回時間の都合でバスで通っただけのウンターデンリンデンも、7月からU-bahnの延長工事が始まってかなり様相が変わってしまって居る様ですし。

 ベルリンの壁が存在したのが28年余り。しかるに崩壊して23年足らず。一度壊された物が元に戻るには同等の時間が必要と言いますから、未だ未だ完全復興までには時間がかかりそうです。(戦中戦後から壁崩壊まで加えると40数年)

 さて記事を書いた時点では謎の存在だった、Thälmannplatz駅についての情報有難うございます。昔の路線図で存在を知って早速調べたのですが、如何せん鉄道に詳しいダンナでも解らなかったので助かります。
 成程…U-bahnの駅でしたか。ベルリン中央駅が元Lehrter Bhfだった事はちょっと調べるとすぐに解りますが、海外の駅は改名・移転・廃止されると追跡出来ない事が多々有りますから。

 Gleisdreieckは最早駅名になった「三角線」の意味は無くなっていますよね。寧ろドイツ技術博物館の最寄駅と言った方が良いかも。駅名よりもぶら下がってる(本当は吊り上げ)飛行機を先に覚えた位でしたから^^;

 半年間続いたベルリン旅行記も次回で取り敢えず最終回ですが、変化が激しい所ゆえ、行く度に新鮮な感動が味わえそうです。
 気が向きましたら最終回共々また御覧戴けると幸いです。
【2012/09/29 14:20】 URL | Pin@管理人 #j3GclXO2 [ 編集]


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