のよのよ in Zの悲劇?!
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出身:福岡県。長年住んだ出雲から佐賀へ移住の白衣好き主婦。
趣味:同人活動ではハーロックに原点回帰。(他にナノセイバー・恐竜惑星・ジーンダイバー)、ばんえい競馬、鳥関係全般、(科学者用)白衣等々。海外に行った時は旅行ネタ多目。


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ベルリン旅行記II(3)~壁リベンジ3~
【2013/12/10 13:06】 海外旅行
【幽霊駅&壁記念館】
壁資料館入口
 幽霊駅とはベルリンの壁によって廃止されてないのに閉鎖された駅の事です。通常は交通網も東西に分断されましたが、起点と終点が西側に在り一部区間のみ東を通る路線については、そこから亡命されると東政府が困るので立ち入り禁止にする事で対処したのです。(東はここも分断して自分の物にしたかったが結局果たせず。)
 その代表である北駅の階段下はちょっとした幽霊駅資料館になっており、壁に貼られた写真等を無料で閲覧出来ます。
こんな風に中は資料館
 当時の路線図。(*北駅と壁の部分のみ加筆)
壁と北駅の位置関係
 壁ラインから右が東の管轄でXが入っているのが幽霊駅(全部地下路線)。東の路線図では西の区間は完璧スルーされていたから西の路線図ですね。
X印が幽霊駅
 隣りのオラニエンブルガー通り(Oranienburger Str.)駅の1984年と2009年の様子。当時は地上からの出入り口もこんな風に閉鎖されていたと。
同じ出入り口でこうも違う
 中は仕切られていて当然ホームに侵入不可です。
ホームの出入りも不可
 ホームには警備兵の監視が…。ただ監視の目を掻い潜ってこっそり侵入し、やって来た電車で亡命に成功した例は有ります。東を通過するまで息を潜めて居た亡命者達は、西に入った途端乗客全員から「良かったなぁ~」と称賛されたとか。
こんな風に監視していた
 当時の映像。カラーだと青白く光る静まり返ったホームの不気味さが際立ちます。そこに電車の「タンタンタタン…」と言う通過音が響き渡ると気分はホラー映画。目の当たりにした乗客が「幽霊駅」と言いたくなるのも解ります。
さぞかし不気味だったろうなぁ…
 こちらのポツダム広場駅は最早廃墟。もし出入り自由だったら廃墟マニアがツアー組んでますよ。
最早廃墟
 そんな廃墟状態の駅達も壁崩壊後は見違える様に整備されました。
見違えましたな~
 尚、ホームには幽霊駅時代の痕跡は残っていない模様。(よ~~く探したら有ったのかも知れないが…)当たり前に電車で行き来出来る現在…平和って良いなぁ~´▽`
ホーム自体は極普通
 と言う訳で地上に戻って前回時間の都合で行けなかったビジターセンターへ。
ビジターセンター
 中は基本無料パンフ置き場と売店ですがここに有る物で個人的にお勧めなのがこれ。幽霊駅を含む壁崩壊前後の交通網に関する本で、ドイツ語版のみですが写真や図も豊富なので何となく内容は解るかと。
買った壁本 
 写真は上から1988年当時のオラニエンブルガー通り駅、1962年のウンター・デン・リンデン駅(現ブランデンブルク門駅)、同駅1990年の様子。最後は壁崩壊後ですがこの駅が再開通したのは北駅と同じ1990年9月1日なので、この写真はそれ以前の物でしょう。
幽霊駅の様子
 壁崩壊後絶賛工事中のフリードリヒ通り(Friedrichstr.)駅の様子。(左:1990年代初頭 右:2002~3年当時)この駅は例外的に幽霊駅にはなっていません。東西南北及び長距離路線の乗換駅だった為、閉鎖が難しかったのと国境検問所が在ったからです。西と東で駅構内は完全に分断され、西の人が東に入るにはこの検問所を通らねばなりませんでした。(勿論東の人が西に行く事は不可能。)
工事中
 尚、壁ドキュメントセンター及びメモリアルの詳細は、前回の記事を参照して戴くとしてここでは補足に留めておきます。
 【ベルリンの壁ドキュメントセンター1】
 【ベルリンの壁ドキュメントセンター2】
 【ベルリンの壁ドキュメントセンター3】 
 ドキュメントセンターの展望台より。おおっあの茶色いのが前回知らずにニアミスしてしまった和解のカペレ(教会)だなっ。
あれが和解教会か!!
 以前も言ったと思いますが通常「ベルリンの壁」と言うのは西側(写真手前)の物で、東(写真奥)との構造の違いがお解りでしょうか。(西が縦に並んでいるのに対し東は横に並んで低くてしかも薄い。)
西は縦東は横
 この鉄条網がブランデンブルク門を囲ってた訳ですな。
ブランデンブルク門を囲った鉄条網
 北駅側に在った壁の一部。柵の部分は管理用に開けたと思われますが左右で繋がってないのは仕様です。(壁って結構あっち行ったりこっち来たりしてるんで)
西の壁を一部開けただけ
 因みに左の矢印の辺り。ついでに大雑把な位置関係も入れてみました。
ここに在った壁の一部
 詳しくはベルリンの壁記念館(日本語版 要pdf)参照。

 後は和解のカペレと「某(次回解説)」を確認すれば終わりかと思いきや…実は壁記念館の実力はこんな物では無かった!!…ここの本気度を思い知った次回に続く。

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